卒業によせて&今後について 坪谷

僕が映研でカメラを回すようになったのは、
忘れもしない3年前の、二年生になりたてで、映研に後輩が顔を出しに来てくれた(多分)時の12Fのラウンジで。

理由は至ってシンプルで、「みんなの活動を残しておきたかった」からです。



坂本くんと最初に喋ったのは、忘れもしない2010年の文化祭前日。あの時は1年生。
バイトの合間を縫って俺が細田の家でポスターの編集をした翌日。
両国駅まで坂本君を迎えに行ったあの時。
フルメタルジャケットの話をした。

斉藤と最初に喋ったのは、ちょっと忘れたけど
多分毛利さん伊藤さんのつながりで授業終わりかなんかに他愛ない世間話を話したはず。
1年生。

あ、神野に至っては何も覚えてないです。


こうして僕らの記憶ってものは時間がたつにつれて
歪んで形が変わって、しまいには忘れ去られるものです。どんな思い出だろうが必ず。
それを映像という形で残して保存して、いつでも見れるものにしておきたいと思うのは自然な流れでしょう。


はじめはそういう考えで始めた動画でしたが、
俺は次第に「人はカメラを向ければだいたいええカッコしたがる」という事実に気がつき、
それは笑いとか、楽しいっていう感情に直結しやすいのだということを身体で理解していきました。
辛い時でも人はカメラを向けられれば笑う。というかカッコつけたがる。
もちろんそうじゃない人もたくさんいるし、自分も昔はカメラで撮られるの嫌いだったけど。(自分が何かを映すのは好きだった)


つまり何が言いたいのかというと、つきなみですが
カメラは、映像は少なからず人を笑顔にする力を持つ機械だということ。
僕はいつしかその力の虜になっており、映像を撮り続けなければ、と思うようになった。

そして次第に笑いに貪欲になり、人を罠にハメたり、自分からカメラに映るようになったりしました。


4年前、グズグズのクソ雑巾になってスネていた俺がそれを続けてこれたのは、
4年間一緒に戦ってくれた仲間がいなかったら成せないことでした。今も十分スネているけどね。


圧倒的な知識量と冷静な判断力で、映研を表も影からも支えた、
映研の頭脳、坂本君。
もはや居るだけで場の空気を変える名役者、
映研もとい神野君の片腕、斉藤。
細田に替わり、流血沙汰への飽くなき情熱とバイタリティで映研を4年間導いてきた、
映研の心臓、神野君。

三人だけじゃなく、後輩の皆、いろんな人の支えで今の僕がいます。


本当にありがとう。
みんな卒業おめでとう!!


今後はまだアップしていない動画をあげきるまでブログを更新させてもらいます。

坂本君のお母さん、
愛してます!