9/29 つぼや

Syrup16g

Syrup16g

syrup16g

つい最近知ったsyrup16gというバンドの解散アルバム。
現在ハマり過ぎていて、シロップの事を書くのはしばらく熱を冷ましてからと決めていたけど、このアルバムを聴いてたまらなくなった。
なんというか、本当にずるいバンドです。

当時4年という期間をおいて作られたアルバムだからか、それまでのシロップの作品のどれとも明らかに毛色が違う。
曲調が、歌詞がどうだという意味ではなく、解散というエネルギーが効果してるのもあるのだろうけど、一曲一曲が憂いとか切なさのような感情を帯びていて、圧倒的に、重い。
でも悲しくてお涙頂戴、会いたくて会えなくて震える、みたいな感動とはまた違ってて、
気がついたら失っていた、埋めることが出来ない心に開いた穴、噛み砕くことができない喪失感への愁情、みたいな、そういう感動が曲から音から揺り起こされる。

ボーカルの五十嵐さんのインタビューで、「自分はシロップをやることで、失った青春みたいなものを取り戻そうとしてた。でもそれはいつか終わらせないといけないもので、その時が来た」というようなニュアンスの話があった。
「青春」という言葉が、上手くアルバムの感動の性質を上手く言い表してると思った。
お別れとか恋愛とかの悲しさじゃなくて、ただただ知らぬ間に無くしてたもの。変わってしまっていたもの。涙する余地すらないひたすらに空虚な欠落。失ったそれらは青春、という言葉にマッチしてる。人によっては心、とか情熱、なんて言葉にも当てはまると思う。

確かに決してアッパーな曲が多いわけではないし、音作りも旧作にあった湿っぽい質感とかが無くなって、ギターがジャジーだったりドラムが尖っていたり、なんだか全体的にソリッドでキリっとしてる。まあそのドライな感じが逆にこのアルバムの無常感みたいなものの演出に一役買ってるのかもしれないけど。
それにしたってこのアルバムには哀愁が漂い過ぎてる。こんなに聴いてて心が痛んでしんどくなる58分があるものか。

シロップはまだ音源化されてない新曲でやたらとライブをするこだわりがあったらしく、ライブだけでしか耳に出来なかった曲が数十曲あって、それらが結局音源で日の目を見ることがないまま解散した。故に今もなお解散前のライブでのファンの密録音源がネットにアップされることが絶えない。本当に音源にされてないのが惜しまれる、良い曲がたくさんあるのです。かつてここまで活動再開を願うバンドは、自分には無かった。

そして解散後、約5年ぶり、今年の5月にボーカルの五十嵐隆がソロ名義でライブを行った。なんとそのライブがシロップのメンバーで、やる曲もほぼ全てシロップのものだったという!
でも五十嵐のこれからの活動予定は一切言及されず、その5月以降何の音沙汰もないようで...。
なんだか、この感覚は漫画のHUNTER×HUNTERに少し似ている気がする。
作る作品はとても良いのに、続きが見られない。
やっぱりずるいんだこのバンドは。五十嵐働け、と言いたくなる。


自分は大学生活に入って、色んなCDを買うようになって、色んなバンドを見つけて好きになった。そして恐らくSyrup16gが一番大きな出会いになった。
恐らく、というのは、自分はまだこのバンドの良さがなかなか言葉に出来ないでいるからです。
メロディが良いとか、曲調がカッコイイ、歌詞が声が良い、と形容することは出来ても、シロップの良さの本質を指す言葉がなんなのか、未だに掴み切れていない。なんというか特別長けている部分が、このバンドには無い。と思う。
アマゾンのレビューで見た誰かの感想にあった、シロップは良い意味でプリミティブなバンド、という言葉には、なるほどと思った。

ただ、五十嵐さんの歌は、本人も言っているように弱者の心を代弁している歌だとは思う。
俺についてこい、とか、悲しくてもきっと何とかなる、とか、何もわかってやれないけど側に居るよ、とか、そういうことを謳うのはすごくカッコイイと思うけど、
悲しいことを悲しいと、辛いことを辛いと、ただただ手放しで嘆くしか無い時だって人にはあると、なくなてならないものだと自分は思う。そして人の弱い部分をただ弱いままに、受け入れることも乗り越えることもせず、その悲しさの本質の部分を代弁するだけの歌って、多分なかなか書けないんじゃないか、と自分は思う。
代弁、という表現が果たして適切かはわからない。でもその、弱さへの本質に迫っているものを、彼の歌からは圧倒的に感じるのだ。
きっとそういう部分に、このバンドのエモーションの秘密があるんではないかと、勝手に考えている。

「明日を落としても」という曲が本当に好き。
「つらい事ばかりで心も枯れて諦めるのにも慣れて したいことも無くてする気もないなら 無理して生きてることもない
という歌詞が衝撃的だった。
ただ相手の為に、死すことすら許し、許容してしまう。もうこの上容赦なく残酷で優しい歌であると思う。同時に、人の心はアンビバレンスなものだから、死にたきゃ死ねば良いなんて言われれば、死にたくなくなるものだ。

人に優しくするっていうのは本当に難しくて、優しくされたかどうか感じるのは人の数だけそれぞれ違っていて、どこまで行っても永遠に一方通行なもので。
同情なのか寄り添うなのか励ますなのか、正体はわからない、でもそういう人への「優しさ」に限りなく近いものを感じる。そういった部分にシロップの良さの本質があると思ってやまないのです。

でも、似た様なことを歌っている人だって他にいくらでもいるんだろうなあ。
日本人のロックバンドが歌うことって大体同じだと思ってるし。
だからシロップというバンドで五十嵐という人の歌が何故ここまで滲みるのか、未だにその理由が本当には理解できていない気がしている。
シロップを知ってから3、4ヶ月しか経っていないけど、たといこれから聴き込んでいっても、自分にとってこれから先も不思議なバンドであり続ける、そんな気がしている。